銀座に今年も「風鈴売り」がお目見えし、風に揺れる涼しい音色が初夏の訪れを告げている。
風鈴を売るのは、1944(昭和19)年長野県生まれの中山明さんら。中山さんはもともとサラリーマンだったが、「ちょっと行き詰まって」退職。露天商の親方と知り合い手伝い始めたことがきっかけで「風鈴売り」に。銀座を含めた東京、北海道を拠点に風鈴を売って30年以上を数える。
今年は4月下旬から銀座で行商。中山さんは「親方」としてスタッフを率い、平日は並木通りの7丁目付近を拠点に別のスタッフが「夕方~夜中まで」風鈴を販売する。中山さんは、平日は六本木で行商するが、中央通りが歩行者天国となる土曜・日曜には日中から銀座を訪れ、20時ごろまで店を開く。
「三寸(さんずん)」と呼ぶ木製の枠組みに、鳴り口部分を「ギザギザ」に仕上げる「江戸風鈴」、らせん風鈴、南部鉄器、風鈴ピアス、陶器の根付けなどをつるす。風が吹く度に「チリンチリン」と涼しい音色が通りに響き、通行人が次々と足を止める。
銀座の主力客は「ホステスさんやそのお客さん」。「自分のお客さんにねだってくれるホステスさんもいて、『持っている風鈴を全部売ってくれ』と言われたこともある」と中山さん。その客は銀座のビルオーナーだったといい、買った風鈴を一緒になって「道を歩く人たちに一つ一つ配ったりもした」。
「いろいろな人に会えるのが楽しい」という一方、「簡単な仕事ではない」とも。在庫を詰め込んだボックスを含めて、中山さんが担ぐ「三寸」は重量50キロ。仕事は1年のうち約5カ月間しか稼働せず、後の7カ月は別の仕事が必要となる。「頭も口も回らないといけないし、体力も使う。自分は『日本の文化を長く残したい』という思いでやっているが、『もうけたい』という気持ちでやって来る若い人たちはなかなか続かない」とも。
風鈴は夏の風物詩とされるが、風鈴売りは「『先取り』商売」と中山さん。「お客さんは『早いねぇ、まだ寒いよ』と言いながら買っていく。真夏になってアスファルトの照り返しが出てくるころにはもう売れない」。今年も銀座、六本木など東京では6月まで行商を続け、7月からは北海道・札幌でお盆前まで風鈴を売る。
行商は雨天時には中止する。