12月5日に亡くなった歌舞伎俳優・中村勘三郎さんの告別式が同27日、築地本願寺(中央区築地3)で営まれ、関係者をはじめ別れを惜しむ多くのファンが参列した。
勘三郎さん(本名=波野哲明さん)は1955(昭和30)年東京生まれ。1959(昭和34)年に「昔噺桃太郎」桃太郎役で初舞台を踏み、五代目中村勘九郎を襲名。8月歌舞伎座「納涼歌舞伎」で夏芝居を復活(1990年)したり、古典歌舞伎の演目を新たな演出で上演する「コクーン歌舞伎」をスタート(1994年)させたり、野田秀樹さんや渡辺えりさんなど現代の劇作家・演出家による新作歌舞伎に取り組んだりと、歌舞伎の発展に大きく貢献。2000年には江戸時代の芝居小屋を現代に復活させた「平成中村座」を旗揚げ。ニューヨーク、ベルリンなどでも公演も行い、今年5月の平成中村座ロングラン公演最終公演まで出演を続けた。2005年には十八代目中村勘三郎を襲名。
正午から始まった告別式には数多くの著名人や関係者が参列し、生前親交の深かった歌舞伎俳優の坂東三津五郎さん、女優の大竹しのぶさん、劇作家の野田秀樹さんらが弔辞を述べた。「あなたがいなくなって3週間と少しが過ぎたが、まだその事実を受け入れられないでいる。その白い箱を蹴破って『冗談じゃないよ、まったく』と言いながら笑顔で現れてくれる方が現実味がある」と大竹さん。野田さんは「どうか安らかなんかに眠ってくれるな。この世のどこかをウロウロしていてくれ」と話し、57歳で亡くなった勘三郎さんの早すぎる死を悼んだ。
本願寺周辺には、11時を過ぎた時点で約2000人の一般弔問客が集まった。50代の女性は築地在住。テレビで見ていて駆け付けたと言い、続々と増えていく参列客に驚いていた。埼玉から来た4人組は「いつも一緒に歌舞伎を見に行く仲間同士」。「新しい歌舞伎座ができて、これからという人だった。かわいそう」と声を詰まらせた。「中村座の大ファン」という女性の姿もあった。「出待ちをしていた私たちにサインをくれたり一緒に写真を撮ってくれたりと、いつもサービスが旺盛だった。かなしい」。以降も次々と参列者が加わり、列は新大橋通りから本願寺を取り囲むように伸びていった。一般焼香が始まった14時には、近隣の公園に列があふれるまでに延長。警備員や警察官が交通整理に追われていた。
葬儀委員長は松竹の大谷信義会長。喪主は中村勘九郎さん、七之助さんが務めた。勘九郎さんは多くの参列者を前に、「こんなに愛されている父を持って幸せ。父の血が自分の中に流れていると思うだけで力が出る。偉大な父を亡くし七之助と共に途方に暮れているが、これからは父が愛した歌舞伎の道を、前を向いて進むしかない。どうかどうか助けてください」と話し、「中村勘三郎を愛してくれてありがとうございます」と締めくくった。